前田夕暮は1883年(明治16年)、神奈川県大住郡南矢名村(現、秦野市南矢名)に生まれました。本名は洋造(洋三とも書く)といいます。明治から昭和にかけて活躍し、短歌界だけでなく、文学界にも影響を与えました。
前田夕暮は生涯において、様々な地を訪れており、各地に夕暮の歌碑などが建立されています。ここでは、前田夕暮とゆかりのある地を紹介していきます。
1 ゆかりの地について
【場所】
埼玉県秩父市大滝村「普寛神社」境内(歌碑)
山原に ひと家居して 子をなして 老いゆくみれば いのちいとほし
埼玉県秩父市大滝にある普寛神社の境内にあります。普寛神社の宮司で夕暮系の短歌結社の同人であった木村普侯氏より、建立されました。
【場所】
埼玉県秩父郡小鹿野町両神小森「丸神の滝前」 (歌碑)
出みづがは あからにごりて ながれたり つちよりにじは わきたちにけり
大正8年夕暮は、一昨年死亡した父久治から受け継いだ山林事業地を丹沢山系玄倉から荒川水源の小森川流域に移し、「関東木材合名会社」を経営していました。夕暮は私財を投じて両神尋常小学校滝前分教場を建て、業員の子供たちの教育のため尽力していました。歌碑の近くには「分教場開校記念碑」があります。
【場所】
埼玉県秩父市大滝五七一四(歌碑)
山を開き土を 平坦して建てし 工事 その隅に しろし栃の 太きみき
歌は、大正12年元旦から2月中旬ごろにつくられた「天然更新歌稿」の中にあります。この地は、関東木材合名会社(のち合資会社)が大正14年に事業地を小森川流域から移したところで、昭和20年4月末から夕暮夫妻が疎開生活を送っていました。
2 前田夕暮を紹介している施設について
さいたま文学館では、埼玉県とゆかりの深いおもな文学者19人について、その概要を紹介しており、その中で前田夕暮が紹介されています。
関連リンク 埼玉ゆかりの文学者たち | さいたま文学館
【場所】
神奈川県横須賀市長井富浦公園(歌碑)
宵あさき 長井往還 行きにつつ 村湯の明り なつかしみけり
前田夕暮の歌風に共鳴していた白秋と偶然小田原駅で会い、そのまま4日間三浦半島を心ゆくまで旅をしました。このときの歌が横須賀長井の歌碑「村湯の明り」に記されています。
関連リンク 前田夕暮歌碑|横須賀市